Pacific Bridge代表の浅井です。
5月に入り、クーラーをつけたくなるような日もあります。長年のオーストラリアでの生活でクーラー大好き人間になってしまいましたので、リモコンに手が伸びそうなのを必死で耐えている毎日です。
GW前には、竹林を持つ親戚から大量のタケノコをいただき、先日やっと最後のものを食べ終えたところです。旬の食べ物って本当に美味しいですね。
また食べ物だけでなく、この時期に咲く花も魅力的です。車を走らせると、あちこちの庭でバラが満開になっています。目を奪われるので、注意が必要です。 実は、2年ほど前から我が家でもイングリッシュ・ローズを鉢で育てており、今年も見事な花を咲かせてくれました。特筆すべきはその香り。どのバラもうっとりするような香りを漂わせています。
専攻科目の決定
さて、ファンデーションコースでの努力が実を結び、無事シドニー大学の教養学部に入学することが出来ました。
前回までの話は、こちらから↓↓
因みにオーストラリアの大学は4年制ではなく、3年制でした。
教養学部では専攻する科目を自身で決めることが出来るので(又は3年履修した科目が専攻となる)、まずは何を専攻するか、そして法律学部入学を叶えるためにどうすべきかを考えました。 専攻は、興味のある心理学としました。
予想外のアドバイスと苦労の始まり
そして、学生サポートセンターに、法律学部入学に向けて何をするべきかを相談に行きました(この頃には随分と度胸もついており、それが行動力に繋がっていました。)。
法律学部(Graduate Law)への入学は全て教養学部の成績で決まると言うことで、「日本人なんだから、日本語を選択しなさい。」と、まさかのアドバイスをいただいたのでした。想定外のアドバイスに戸惑いながらも、日本語(もちろん最上級のクラス)を選択することに。
ただこの日本語のクラスが一筋縄ではいかなかったのです。萩原 朔太郎の詩を英訳したり、日本語を英語で学んだりと、かなりハードでした。特に詩の英訳は、詩を英語に直せても、英単語の持つニュアンスを理解出来ていなかったため、原文の持つ意味とはほど遠い英訳にしかならず、散々でした。
日本で苦手意識を持っていた古文の授業も、キツかったです。私以外にも日本語を選択している日本人学生がいたのですが、日本人が日本語で落第してしまうという事態も発生し、気の休まる暇はなかったです。
心理学は2年間は必死で食らいついていったのですが、難易度が増し、学び続ける自信をなくしていたことと、フランス語の授業との兼ね合いで3年目では選択しませんでした。
3年間履修した科目はフランス語となり、結果、教養学部での専攻はフランス語となりました。気になる最終成績ですが、法律学部入学に必要な成績をギリギリ上回るものでした。
強い思いと行動の結果
どうしても法律学部に入りたかったため、法律学部の学部長に入学願書と共に私の熱い想いを綴った手紙を添えて提出したのを覚えています。
合格発表は新聞で行われ、深夜過ぎに24時間開いている路上のニューススタンドまで新聞を買いに行きました。
結果は、合格でした。
私に大きな影響を与えたファンデーションコースから一緒の韓国人の友達も、シドニー大学の教養学部に在籍し法律学部への入学を目指していたのですが、残念ながら夢は叶いませんでした。 人生とは、不思議なものですね。
ここまでが、シドニー大学入学から法律学部合格までのストーリーです。
次回は、この続きからお話します。お楽しみに。