Pacific Bridge代表の浅井です。
1月があっという間に過ぎ去り、もう2月ですね。
自宅から徒歩圏内に梅林公園があり、ほぼ毎日犬の散歩で通るのですが、梅の花もあと3週間もすれば満開になるのではという状態となってきました。
早咲きの梅はすでに開花していて、なんとも言えない良い香りが漂っています。
「国外追放」を母から言い渡される
前置きが長くなりましたが、今回はそもそもなぜ私がオーストラリアに行くことになったかというお話をしたいと思います。
自慢できる話ではないのですが、私、小中高と勉強に興味を持ったことも励んだこともありません。
母方の親戚に医者や歯科医が多く、歯科医になるという夢を漠然と持ちながらなんとなく過ごしていました。
無謀にもそんな気持ちのまま大学受験をしてしまい…、結果は明らかですね。
その後もなんとなく浪人生活を送る私に業を煮やした母親が、私のためにオーストラリア行きの航空券を用意していたんです。
大げさに言うと、私、「国外追放」になったんです。
普通に言うと、「半年間の海外留学」です。
もう後戻りできない
海外留学に興味のあった私ですが、いざ成田空港のシドニー行きカンタス便の搭乗ゲート前まで来て、涙が止まらなくなりました。
搭乗ゲートの近くにあった太い柱の陰で立ったまま大量の涙を流していました。
そしたら突然、目から鱗が落ちたんです。
「ポロッ」とではなく、「バサバサバサッ」と幾重にも重なった鱗が!
顔を上げると、そこには涙している自分を非常に冷静に見つめるもう一人の自分がいました。
そして、なぜ涙しているのか、という分析を始めたんです。
その分析によると、涙している理由は以下の通りでした。
- 身寄りもない、言葉も通じるかどうか分からない外国へ一人で旅立つ不安
- 今まで何の努力もせず、貴重な時間を無駄にしてしまった自身に対する不甲斐なさと腹立たしさ
- 親にここまでさせてしまったという後悔
- こんな自分にもまだ期待して海外へ送り出してくれる親の愛とありがたさ
今振り返ると、あの時涙を拭きながら飛行機に乗ったことが、本当にユニークな人生経験に繋がったと思います。
ありがたいですね。
以上が、私がオーストラリアに行くことになった経緯です。